心的辞書はなるべく剥き出しで

土星木星の影響を受けない、素の水星から出る等身大の言葉を磨きたいと思っているのですが、背伸びした言葉と等身大の言葉を見分ける術(占い師としてはジュツと読みたくなりますが、ここではスベと読んでいただきたいです)がずっとわかりませんでした。
他人のことなら違和感を持つこともあるかもしれないけれど、私は長いあいだ自分の言葉とそこまで向き合って来なかったのです。

そんな壁にぶち当たったのは、時期読みの講座でのライティングの勉強中に「水星とは、かぶれず背伸びせず、現在の自分から絞り出すしかないもの。そうすることでしか磨けないものだ」と聞いた時です。
自分のなかにない視点だったので、とても大きな衝撃を受けました。

その後、とりあえず「いく」を水上勉様(大好き)にかぶれて「ゆく」と表記していたのをやめてはみたものの、次にどうすればいいのかがわかりませんでした。
ライティングの度に「かぶれていないか。これはちゃんといまの私から出てきた言葉か」と問いかけながら書くようにはなったのですが、出てくるすべての言葉がにせものではないかと疑わしく思えるようになってしまいました。
これは本当に私の言葉なのかどうかを判断する方法に、長い間悩んでいました。

ある時、文章心理学の応用としての考え方だという“常体の文章をつくるときは「かっこいいことを書こう」という意識が働き、一方で、敬体の文章をつくるときはメンタルレキシコン(心的辞書)からストレートに言葉が引き出される”といった内容を本で読みました。
この「ストレート」というところに感銘を受けました。
それこそ木星土星に引っ張られない、素の水星のなせる技だという感じがします。

それ以来、ライティングの下書きを敬体で作成し、(常体で仕上げるものの場合は)清書の時点で常体に整えるように、やり方を変えました。
常体を書きながら、ええかっこしい心(?)を抑えるのが私にはどうやら難しいことがわかったからです。

いまでは、ブログもそれを意識しています。
もちろん言葉にして伝えたい、残したいことがあるからやっているブログですが、敬体で書くことで、素の水星を明らかにし駆使するためのワークとしても、取り組みたいです。

メンタルレキシコン=心的辞書は、水星や双子座と関わりの深いものだと思います。
「辞書」と言うと水瓶座のようにも感じますが、自分一人だけの「心的辞書」はやはり双子座のものだと思います。

タロットカードで双子座にあたるのは「女帝」です。
心的辞書は、女帝ではありません。
でも、女帝の裏カード(共通するファクターをより精神的な象徴とした、一対として理解することができるカード)にある「星」は、心的辞書を示す象徴であると思っています。
星のカードは「触れないけれど見えないけれど、確かにそこにある大切なもの」です。
女帝のカードでは顕在している大切なものが、星のカードでは潜在しています。

初めて星のカードを勉強した時に、私は仮面ライダーW仮面ライダーシリーズで唯一、自信を持って「知っている」と言える作品です。探偵事務所ものが大好きなので…)の「星の本棚」を連想したのですが、そのことを今回も思い出しました。

フィリップが「星の本棚」という膨大な叡智にアクセスすると、目下の問題を解決するためのキーワードを見つけることができるんです。
「星の本棚」の由来について作中で言及があったかどうかは記憶にありません。
フィリップは「星の本棚」にアクセスすると、受けた負荷から気を失います。
その叡智の威力はまるで水瓶座のようだけれど、このフィリップが記憶喪失中の少年(ちなみに演じているのは16歳の菅田将暉さん)であることを考慮すると、「星の本棚」は実は、フィリップの心的辞書に過ぎないのではないかと、私は思っています。
顕在的には「失われた、見えない記憶」だけれど、潜在的な生きている叡智として、どこか奥底でアクセスされる時を待っているのではないでしょうか。

私の心的辞書はそんな「叡智」ではまったくないけれど、アクセスしてストレートに引き出すというトレーニングを続けていきたいです。
そして、水星を磨くことで、自分の心的辞書もしっかりと磨いていきたいです。